自己紹介

私も、最初から自然療法大好き!ではありませんでした。
子供の頃の好きな食べ物は「カツ丼」でしたし、高校生の頃は、通学駅の近くのミスドに通って、毎朝ドーナツ食べてから登校するような学生でした。看護師時代は、生理痛が辛い時は鎮痛剤を飲んだり、腰痛がひどい時は神経ブロックをしたり、睡眠時間が不規則になる職業柄もあってしっかり寝るために睡眠薬を飲んだりと、薬で対処しながら生活していました。

そんな私が、なぜ自然療法を伝えたいと思うようになったのかをまとめました。

看護師時代

看護学生時代に「病院で死ぬということ」を読んでホスピスに興味を持ち、ホスピスのある病院でボランティアに参加し、卒業後そのまま就職。外科病棟と緩和ケア病棟で勤務。外科病棟では、胃がん、食道がん、大腸がん、肝がん、乳がん、子宮がん、口腔がん、舌がんなどの手術前後のケアや化学療法(抗がん剤)に携わる。手術室での勤務経験もあり。緩和ケア病棟では、終末期の患者さんのケアに携わりながら、後悔しないお見送りができるよう家族へのケアも大事に関わる。在宅死がまだまだ少ない時代で、もっとより良い看護を行うにはどうしたらいいのか悩み、大学に進学する。

大学・大学院時代

看護系大学に編入し、勉強することの面白さを実感する。大学でお世話になった心理学の教員が開発した整体法にのめり込み、整体師の資格を取得する。身体の整え方を知ったことで自身の生理痛も改善し、身体の自然治癒力の凄さを実感する。終末期の患者さんに整体で習ったマッサージを施したところ、倦怠感が楽になったり不眠が改善されたりなど、とても喜んでいただけたことから、これを研究できないかと大学院へ進学する。大学院では、倦怠感のある一般の方に足のマッサージを行い、自覚症状や皮膚温を測定し、倦怠感の軽減への効果を研究する。

整体師・主婦時代

大学院卒業と同時に、結婚。整体師だった夫と一緒に自宅で整体業を行う。その後、長女、長男を授かり、主婦業中心の生活となる。長女が1歳前に卵アレルギーが判明し、食事を見直し始める。長男が3歳の時に喘息と診断され、気管支拡張薬や発作時の吸入薬を手放せない状態になる。

自然療法との出会い

長男が4歳の時に、当時知り合いだった看護師さんから自然療法セミナーの話を聞き、藁をもすがる思いでセミナーに参加する。自然療法セミナーの先生のお話は目から鱗が落ちるような衝撃を受ける。と同時に、自分の道はここだと確信。まずは長男の喘息を治そうと自然療法の先生のセッションを受けながら、薬をやめて、症状をしっかり出し切る方法を実践し始める。季節の変わり目ごとに症状は出るものの、薄紙を剥ぐように改善し、風邪をひいても熱を出しても、すぐに回復するようになった。この喘息が治った経験によって、さらに確信が強くなる。

離婚・不登校

自然療法に確信を得た私は、周囲にも自然療法の素晴らしさを語るようになり、また自然療法セミナーでも、看護師の立場からお話しさせてもらうようになる。話を聞いて実践する人たちが、どんどん改善していく姿を見て、ますます自然療法にのめり込む。徐々に夫とのコミュニケーション不全の歪みが大きくなり、離婚することに。新しい環境で、子供たちは不登校を選び、私は看護大学教員として働くことを選ぶ。自宅で過ごす時間が長い子供たちのために、チワワを飼い始める。

そして現在に至る

看護大学教員として働き、最新の治療や薬のことも学びながら、さらに自然療法の必要性を実感する。自然の中で暮らしたい思いはさらに強くなり、自給自足の生活に憧れる。

自分の治療は自分で決める。
自然療法を選ぶにしても、薬を選ぶにしても、誰かに言われたからそうするという他人任せでいては、いつまで経っても改善しません。
自分が治すんだと決めて、自分が選んだものを信じること。
そのスタンスで、選ぶことが大切だと思います。
自然療法は選択肢の一つです。
でも、選択肢が増えることは大事なことです。選ぶことができますから。
大事なことは自分で決めることだと思います。

もしあなたが、薬を飲まずに治らないかな、手術しなくてもいい方法はないかな、と少しでも思っているのでしたら、その感覚を信じて、違う方法を探してみてください。
その時、自然療法が選択肢の一つになるといいなと思っています。